第2特集:地震の直後といま〜青倉〜
- 仮設住宅/住宅再建
- 2011.09.12 Monday
地震から半年。被害が大きかった集落では、むらの姿は大きく変わっています。いま、むらを初めて訪れる人には丁寧に説明しても、むらの元の姿を理解してもらうのは難しい。私はたまたま、3月13日に撮影された青倉集落の写真を持っています。
そこで、9月9日、10日に同一地点を撮影してまわり、比較写真を作成しました。「写真A-1」「写真A-2」と表記されている場合、「1」が3月13日の姿、そして「2」が現在の姿を示しています。
写真A-1
写真A-2
倒壊しているのはA・T家の倉庫。早い時期に解体・撤去された。また、その先に見えるのはH・Sさん宅で、被害判定は「半壊」であったが、解体された。
同一場所に木造の倉庫が再建された。A・Tさんが元大工であることから、自身の手によるものだ。また、H・Sさん宅は現在は更地になっているが、新築の予定で、すでに地鎮祭が終わっている。

写真B
写真C-1
写真C-2
一部2階建てのA・Tさん宅(写真Aの道路反対側、斜め向かい)。よく見ると、2階部分だけが右へ傾いている。また、積雪で見えないが、この2階建て部分は高床式で、家屋1・2階の下が鉄筋コンクリート製で倉庫になっている。
傾いた2階部分を切り離して撤去し、平屋の家として再建された。写真C-2では高床式の構造がよくわかる。高床式であるため、平屋にしても、冬の積雪への対応が可能である。
写真D-1
写真D-2
奥に見えるのがT・S家で、手前の倒壊家屋は同家の倉庫。共に解体・撤去された。
建物が解体・撤去され、初めて訪れる人には同一地点だとは分からないだろう。道路と敷地の間のコンクリート製の壁と電信柱が識別のポイントだ。後ろの家は、T・Sさん宅の他にもう1軒(写真E)、解体・撤去されたために見えるようになった。
写真E-1
写真E-2
村内のある事業所に勤務する東京出身のご夫婦が住んでいた借家。その後、傾きはどんどんひどくなり、解体された。ご夫婦は今は栄村近隣で家を借りてお住まい。家主さんは首都圏在。
解体された跡は更地になっているが、写真E-2のように、すでに草が覆い繁っている。同一地点であることを知る手掛かりは、2つの写真に写っている進入路の部分だけだ。
震災で家屋が倒壊・解体・撤去され、住人が家屋を再建しない場合に、そこが荒れ地と化す事例である。なお、後方に茅葺き型の民家が見えるが、地震で損壊した家屋を修復したものである。
写真F-1
写真F-2
倒壊しているのは、倒壊家屋のすぐ後ろに見えるS・Tさん家の作業所。
倒壊した作業所は解体・撤去され、その跡地にドーム型の車庫が新築された。その後、S・Tさんのお家も解体され、最近、建て替え・新築の工事が始まった。写真F-2では電柱の後ろに工事の人の姿が見えるが、S・Tさん宅新築の基礎工事をしている人。さらにその後ろに見える家はT・Sさん宅で、写真F-1の右端に写っているお家である。
写真G-1

写真G-2
倒壊した青倉公民館。ニュースで頻繁に取り上げられ、非常に有名になった。
倒壊した公民館は5月下旬に解体・撤去された。写真に見える消防車は公民館に併設されていた消防団格納庫から救出されたもので、幸い、まったく損傷がなかった。
公民館は集落の人びとの心の拠りどころ。全国のみなさんのご厚意で公民館再建基金が4月下旬で約400万円集まり、4月29日、向かい側の土地に仮設公民館が建てられた(基金はその後、約900万円に達している)。
青倉公民館は来年、元の建物の斜め向かいの地に新築・再建されることが決まっている。

写真H-1
写真H-2
真ん中に写っているのは住家ではなく倉庫。道の真ん中まで飛び出している。この倉庫の後ろにも倒壊した倉庫が1軒ある。
倉庫はいずれも解体・撤去され、手前は仮設倉庫が設置され、その先にはドーム型車庫が新築されている。その先に見える赤いドーム型車庫は写真H-1にも見えるもの。また、右側の家並みは変わっていない。
写真I-1
写真I-2
写真Hで「この倉庫の後ろにも倒壊した倉庫が1軒ある」と書いた倉庫が完全に潰れているところを反対方向から撮影したもの。この写真では、倉庫以外の家屋に注目してもらいたい。倒壊した倉庫の後方に3軒の家が見える。
倉庫が解体・撤去された後にはドーム型車庫が新築されている。
写真I-1に見える家屋が3軒とも見えない。うち、写真I-1の右側に見える家は、ドーム型車庫の陰に隠れているのだが、左側に見える2軒は解体・撤去され、すでにその姿はない。写真I-2の仮設倉庫(ブルーシートを被っている)後方に見える家は、写真I-1に見える茅葺き民家のさらに向こう側にある家である。
この辺りは最も様子が変わってしまったゾーンの1つだ。

写真J-1
写真J-2
窓がとび、家の中が完全に見える状態。このお家は写真H、Iの道路反対側。後に解体・撤去された。
ここには2軒の家屋と倉庫1軒があった。この跡地は村営住宅建設の候補地の1つになっている。住人だったM・Sさん(高齢単身世帯・女性)は仮設住宅にお住まいで、最近も、跡地の草取りを丁寧にやっておられる。写真Hと解体の時期はあまり変わらないが、住人が近くにいて草取りなどすると、荒れ地にはならない。

写真K-1

写真K-2
T・Tさん家の車庫が倒壊したもの。中には軽トラが閉じ込められ、後にT・Tさんが自分で建物を解体し、軽トラを救出された。
右側手前の更地が車庫跡。奥さんがよく草取りをされている。冬が来る前に木造の車庫を建てられる予定だと聞いている。

写真L-1

写真L-2
倉庫が基礎部分から吹っ飛んで傾いている。写真左にはT・Kさんの住家があり、写真右端にT・Tさんの家がわずかだが見える。
傾いた倉庫は撤去され、その跡に新しい倉庫が建てられている。T・Kさんの家も解体・撤去された。T・Kさんは高齢女性の1人住まいで、震災後、都市部在住の息子さん宅に転居された。村外移住が確定した、青倉で唯一のケースである。
なお、写真L-1の右端に見えるT・Tさんのお家がはっきり見える(田に稲が稔っているが見えるが、その先)。

写真M-1

写真M-2
S・Sさん宅を撮影したものだが、写真M-1では窓のほとんどが外れている。S・Sさん宅の被害判定は「半壊」であったが、5月に修復工事をされ、現在は元通りの暮らしに戻っておられる。
だが、S・Sさん宅を取りまく環境は激変している。周辺の家が8軒も解体・撤去され、震災前は家からは見えなかった国道117号線が見通せる状態になった。
地震がむらの姿をどれほどに変えてしまうのか。青倉の現状はそのことをまざまざと示しています。しかし、「変わってしまった」と嘆くだけでは、むらの明日はひらかれません。大事なことは、そこに住む人びとの日々の暮らしの営みでしょう。それがむらの姿を創りだしていきます。公民館再建と村営住宅の建設はその重要な環となるでしょう。
私はむらの移って来たその日からずっとお世話になっている青倉の人たちと共に歩んでいきたいと思います。
そこで、9月9日、10日に同一地点を撮影してまわり、比較写真を作成しました。「写真A-1」「写真A-2」と表記されている場合、「1」が3月13日の姿、そして「2」が現在の姿を示しています。
写真A-1
写真A-2
倒壊しているのはA・T家の倉庫。早い時期に解体・撤去された。また、その先に見えるのはH・Sさん宅で、被害判定は「半壊」であったが、解体された。
同一場所に木造の倉庫が再建された。A・Tさんが元大工であることから、自身の手によるものだ。また、H・Sさん宅は現在は更地になっているが、新築の予定で、すでに地鎮祭が終わっている。

写真B
写真C-1
写真C-2一部2階建てのA・Tさん宅(写真Aの道路反対側、斜め向かい)。よく見ると、2階部分だけが右へ傾いている。また、積雪で見えないが、この2階建て部分は高床式で、家屋1・2階の下が鉄筋コンクリート製で倉庫になっている。
傾いた2階部分を切り離して撤去し、平屋の家として再建された。写真C-2では高床式の構造がよくわかる。高床式であるため、平屋にしても、冬の積雪への対応が可能である。
写真D-1
写真D-2
奥に見えるのがT・S家で、手前の倒壊家屋は同家の倉庫。共に解体・撤去された。
建物が解体・撤去され、初めて訪れる人には同一地点だとは分からないだろう。道路と敷地の間のコンクリート製の壁と電信柱が識別のポイントだ。後ろの家は、T・Sさん宅の他にもう1軒(写真E)、解体・撤去されたために見えるようになった。
写真E-1
写真E-2
村内のある事業所に勤務する東京出身のご夫婦が住んでいた借家。その後、傾きはどんどんひどくなり、解体された。ご夫婦は今は栄村近隣で家を借りてお住まい。家主さんは首都圏在。
解体された跡は更地になっているが、写真E-2のように、すでに草が覆い繁っている。同一地点であることを知る手掛かりは、2つの写真に写っている進入路の部分だけだ。
震災で家屋が倒壊・解体・撤去され、住人が家屋を再建しない場合に、そこが荒れ地と化す事例である。なお、後方に茅葺き型の民家が見えるが、地震で損壊した家屋を修復したものである。
写真F-1
写真F-2
倒壊しているのは、倒壊家屋のすぐ後ろに見えるS・Tさん家の作業所。
倒壊した作業所は解体・撤去され、その跡地にドーム型の車庫が新築された。その後、S・Tさんのお家も解体され、最近、建て替え・新築の工事が始まった。写真F-2では電柱の後ろに工事の人の姿が見えるが、S・Tさん宅新築の基礎工事をしている人。さらにその後ろに見える家はT・Sさん宅で、写真F-1の右端に写っているお家である。
写真G-1

写真G-2
倒壊した青倉公民館。ニュースで頻繁に取り上げられ、非常に有名になった。
倒壊した公民館は5月下旬に解体・撤去された。写真に見える消防車は公民館に併設されていた消防団格納庫から救出されたもので、幸い、まったく損傷がなかった。
公民館は集落の人びとの心の拠りどころ。全国のみなさんのご厚意で公民館再建基金が4月下旬で約400万円集まり、4月29日、向かい側の土地に仮設公民館が建てられた(基金はその後、約900万円に達している)。
青倉公民館は来年、元の建物の斜め向かいの地に新築・再建されることが決まっている。

写真H-1
写真H-2
真ん中に写っているのは住家ではなく倉庫。道の真ん中まで飛び出している。この倉庫の後ろにも倒壊した倉庫が1軒ある。
倉庫はいずれも解体・撤去され、手前は仮設倉庫が設置され、その先にはドーム型車庫が新築されている。その先に見える赤いドーム型車庫は写真H-1にも見えるもの。また、右側の家並みは変わっていない。
写真I-1
写真I-2
写真Hで「この倉庫の後ろにも倒壊した倉庫が1軒ある」と書いた倉庫が完全に潰れているところを反対方向から撮影したもの。この写真では、倉庫以外の家屋に注目してもらいたい。倒壊した倉庫の後方に3軒の家が見える。
倉庫が解体・撤去された後にはドーム型車庫が新築されている。
写真I-1に見える家屋が3軒とも見えない。うち、写真I-1の右側に見える家は、ドーム型車庫の陰に隠れているのだが、左側に見える2軒は解体・撤去され、すでにその姿はない。写真I-2の仮設倉庫(ブルーシートを被っている)後方に見える家は、写真I-1に見える茅葺き民家のさらに向こう側にある家である。
この辺りは最も様子が変わってしまったゾーンの1つだ。

写真J-1
写真J-2
窓がとび、家の中が完全に見える状態。このお家は写真H、Iの道路反対側。後に解体・撤去された。
ここには2軒の家屋と倉庫1軒があった。この跡地は村営住宅建設の候補地の1つになっている。住人だったM・Sさん(高齢単身世帯・女性)は仮設住宅にお住まいで、最近も、跡地の草取りを丁寧にやっておられる。写真Hと解体の時期はあまり変わらないが、住人が近くにいて草取りなどすると、荒れ地にはならない。

写真K-1

写真K-2
T・Tさん家の車庫が倒壊したもの。中には軽トラが閉じ込められ、後にT・Tさんが自分で建物を解体し、軽トラを救出された。
右側手前の更地が車庫跡。奥さんがよく草取りをされている。冬が来る前に木造の車庫を建てられる予定だと聞いている。

写真L-1

写真L-2
倉庫が基礎部分から吹っ飛んで傾いている。写真左にはT・Kさんの住家があり、写真右端にT・Tさんの家がわずかだが見える。
傾いた倉庫は撤去され、その跡に新しい倉庫が建てられている。T・Kさんの家も解体・撤去された。T・Kさんは高齢女性の1人住まいで、震災後、都市部在住の息子さん宅に転居された。村外移住が確定した、青倉で唯一のケースである。
なお、写真L-1の右端に見えるT・Tさんのお家がはっきり見える(田に稲が稔っているが見えるが、その先)。

写真M-1

写真M-2
S・Sさん宅を撮影したものだが、写真M-1では窓のほとんどが外れている。S・Sさん宅の被害判定は「半壊」であったが、5月に修復工事をされ、現在は元通りの暮らしに戻っておられる。
だが、S・Sさん宅を取りまく環境は激変している。周辺の家が8軒も解体・撤去され、震災前は家からは見えなかった国道117号線が見通せる状態になった。
地震がむらの姿をどれほどに変えてしまうのか。青倉の現状はそのことをまざまざと示しています。しかし、「変わってしまった」と嘆くだけでは、むらの明日はひらかれません。大事なことは、そこに住む人びとの日々の暮らしの営みでしょう。それがむらの姿を創りだしていきます。公民館再建と村営住宅の建設はその重要な環となるでしょう。
私はむらの移って来たその日からずっとお世話になっている青倉の人たちと共に歩んでいきたいと思います。



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むらたびは、体験イベントを通して栄村の〈むららしい暮らし〉や自然を満喫し、栄村の復興に繋げる新しい旅です。






