農地復旧のあり方を考える必要が出てきています
- 農業再建問題
- 2011.06.25 Saturday
国による農地の災害復旧事業の査定スケジュールについて6月20日付け(No.44)でお伝えしました。9月には工事が始まると思われますが、「これで被害を受けた田んぼ、農道・水路が復旧する」と安心しているわけにはいきません。むしろ逆に、田んぼ等の復旧のあり方についていよいよ真剣に考えなければならないときが迫ってきているといえます。
なぜなら、国の災害復旧事業は原形復旧なので、本当に安心できる復旧ができない場合があるし、また、10年後・20年後のむらの農業を展望できる田んぼを確保するには不十分なことがあるからです。
<ケース1:安全を確保できないのではないか>
これまでにも何回か、紹介してきた青倉・西山田の農道崩落箇所。もう一度、写真をご覧ください。

この箇所の復旧工事の方法ですが、村の担当者に聞くと、右の写真で農道の舗装部分が大きく落ちている箇所は盛土をして元の高さにして、元の形に戻して舗装するそうです。「原形復旧」というのはそういうことなのです。
しかし、2枚の写真のいずれを見ても、農道左側の地盤は谷にむかってずり落ちています。ここに盛土をして元の形にしたところで、地震はいうまでもなく、ちょっとした大雨や大雪などによって再び崩落する危険があります。安全に農作業に従事できる環境ではまったくありません。
農道右手の少し小高くなっている部分を削って、農道を少し右に移すこと、さらに左側の谷にむかって崩落が起こっている箇所に何らかの崩落防止の措置を施すことが必要だと思うのですが、原形復旧ではそういうことはできないのです。
村の担当者は国の復旧事業の規則にしたがって査定計画を立案しているわけで、担当者に対して異論があるわけではないのですが、こういう「復旧」で本当によいのか、国の担当者(査定官)に問う機会をなんとか得られないものか、考えてみたいと思います。
<ケース2:復旧作業用の重機も入れられない>
つぎは、同じく青倉ですが、四ッ廻りと呼ばれる地区です。

四ッ廻りで耕作している人に聞いたところによると、作付けできたのは2割に過ぎないというほど、田んぼの被害がひどい地区です。かなりの田んぼが国の復旧事業の対象となりますが、大きな難点があります。農道が狭く(軽トラが1台通るのが精一杯)、復旧工事を行なう重機を入れることができないのです。
上の写真は四ッ廻りに入って間もなく、農道が2本に分かれる箇所を撮影したものですが、いずれの農道もじつに狭いことがおわかりいただけると思います。
現状ではミニ・バックと呼ばれる小型重機しか入りません。
村の担当者はこのあたりの事情をよく理解してくれていて、「大型重機を入れられるようにする」と話していましたが、ここは集落の耕作関係者がよく議論して、この際、農道を拡幅する整備事業を自ら立案し、この先10年、20年と耕作を続けられる環境を整えるようにする必要があると思います。そして、それが“復興”というものだと思います。
<ケース3:条件の悪い、小さな田んぼをそのままにするのか>
同じく四ッ廻りについて、もう1つ、重要な課題があります。
田んぼのすぐそばに杉の木が繁り、日当たりが悪い。小さな田んぼで作業の効率が上がらない。そういう田んぼが多いのです。

杉林で日当たりが悪く、他の田んぼが乾いても、この田だけはまだ乾かない(6月2日撮影)。

上写真の田んぼは四つ廻りのいちばん奥にあるものですが、じつに奇妙な形をしています。写真手前の部分はかなり横幅が広いのですが、途中でぐっと狭くなります。写真右上の部分が一段高くなり、荒地になっていますが、じつはここに小さな耕作放棄田があるのです。おそらく2つの田の地権者が異なるのでしょう。この右上の部分を削って下げて、下の田んぼと一緒に1枚の田んぼにすれば、随分と耕作しやすいものになります。

四ッ廻りから見える千曲川
この四ッ廻りのすぐそばは千曲川です(上写真参照)。その千曲川は震災で計画実行が遅れていますが、ラフティング事業が計画されています。また、千曲川の対岸の近くには古道・志久見街道があり、前近代期の舟運時代の舟曳きの足跡が残っているところです。

舟曳きの足跡(写っている人が足をおいている所や写真右端のくぼみが足跡)
つまり、観光・体験ツアーのポイントとなる場所なのです。観光・体験ツアーの事業と連携すれば、四ッ廻り地区は農業とともに農作業や川遊び・ラフティングの体験ツアーの拠点にできる可能性を秘めているのです。
そういうことも視野に入れながら、杉林の伐採や圃場整備をこの際計画・実行すれば、耕作が非常にしやすい環境にすることができます。四ッ廻りは千曲川のそばであることから、耕盤の下が砂地であり、非常に美味しいお米がとれます。ですから、いい値で売ることもできます。
いわば「四ッ廻り振興計画」のようなものを耕作関係者で立案し、集落全体の協力を得られるようにする。そうすると、6頁で紹介した役場担当者の苦労(重機を入れられるように工夫すること)も大いに生かすことができますし、中山間地が多くて青倉・四ッ廻りと同様の苦労を抱えている長野県全体の中山間地農業の再生モデルを創り出すこともできると考えられます。
復旧事業が本格化するこれからが、村民が復興にむけて知恵を出すときなのです。
なぜなら、国の災害復旧事業は原形復旧なので、本当に安心できる復旧ができない場合があるし、また、10年後・20年後のむらの農業を展望できる田んぼを確保するには不十分なことがあるからです。
<ケース1:安全を確保できないのではないか>
これまでにも何回か、紹介してきた青倉・西山田の農道崩落箇所。もう一度、写真をご覧ください。

この箇所の復旧工事の方法ですが、村の担当者に聞くと、右の写真で農道の舗装部分が大きく落ちている箇所は盛土をして元の高さにして、元の形に戻して舗装するそうです。「原形復旧」というのはそういうことなのです。
しかし、2枚の写真のいずれを見ても、農道左側の地盤は谷にむかってずり落ちています。ここに盛土をして元の形にしたところで、地震はいうまでもなく、ちょっとした大雨や大雪などによって再び崩落する危険があります。安全に農作業に従事できる環境ではまったくありません。
農道右手の少し小高くなっている部分を削って、農道を少し右に移すこと、さらに左側の谷にむかって崩落が起こっている箇所に何らかの崩落防止の措置を施すことが必要だと思うのですが、原形復旧ではそういうことはできないのです。
村の担当者は国の復旧事業の規則にしたがって査定計画を立案しているわけで、担当者に対して異論があるわけではないのですが、こういう「復旧」で本当によいのか、国の担当者(査定官)に問う機会をなんとか得られないものか、考えてみたいと思います。
<ケース2:復旧作業用の重機も入れられない>
つぎは、同じく青倉ですが、四ッ廻りと呼ばれる地区です。

四ッ廻りで耕作している人に聞いたところによると、作付けできたのは2割に過ぎないというほど、田んぼの被害がひどい地区です。かなりの田んぼが国の復旧事業の対象となりますが、大きな難点があります。農道が狭く(軽トラが1台通るのが精一杯)、復旧工事を行なう重機を入れることができないのです。
上の写真は四ッ廻りに入って間もなく、農道が2本に分かれる箇所を撮影したものですが、いずれの農道もじつに狭いことがおわかりいただけると思います。
現状ではミニ・バックと呼ばれる小型重機しか入りません。
村の担当者はこのあたりの事情をよく理解してくれていて、「大型重機を入れられるようにする」と話していましたが、ここは集落の耕作関係者がよく議論して、この際、農道を拡幅する整備事業を自ら立案し、この先10年、20年と耕作を続けられる環境を整えるようにする必要があると思います。そして、それが“復興”というものだと思います。
<ケース3:条件の悪い、小さな田んぼをそのままにするのか>
同じく四ッ廻りについて、もう1つ、重要な課題があります。
田んぼのすぐそばに杉の木が繁り、日当たりが悪い。小さな田んぼで作業の効率が上がらない。そういう田んぼが多いのです。

杉林で日当たりが悪く、他の田んぼが乾いても、この田だけはまだ乾かない(6月2日撮影)。

上写真の田んぼは四つ廻りのいちばん奥にあるものですが、じつに奇妙な形をしています。写真手前の部分はかなり横幅が広いのですが、途中でぐっと狭くなります。写真右上の部分が一段高くなり、荒地になっていますが、じつはここに小さな耕作放棄田があるのです。おそらく2つの田の地権者が異なるのでしょう。この右上の部分を削って下げて、下の田んぼと一緒に1枚の田んぼにすれば、随分と耕作しやすいものになります。

四ッ廻りから見える千曲川
この四ッ廻りのすぐそばは千曲川です(上写真参照)。その千曲川は震災で計画実行が遅れていますが、ラフティング事業が計画されています。また、千曲川の対岸の近くには古道・志久見街道があり、前近代期の舟運時代の舟曳きの足跡が残っているところです。

舟曳きの足跡(写っている人が足をおいている所や写真右端のくぼみが足跡)
つまり、観光・体験ツアーのポイントとなる場所なのです。観光・体験ツアーの事業と連携すれば、四ッ廻り地区は農業とともに農作業や川遊び・ラフティングの体験ツアーの拠点にできる可能性を秘めているのです。
そういうことも視野に入れながら、杉林の伐採や圃場整備をこの際計画・実行すれば、耕作が非常にしやすい環境にすることができます。四ッ廻りは千曲川のそばであることから、耕盤の下が砂地であり、非常に美味しいお米がとれます。ですから、いい値で売ることもできます。
いわば「四ッ廻り振興計画」のようなものを耕作関係者で立案し、集落全体の協力を得られるようにする。そうすると、6頁で紹介した役場担当者の苦労(重機を入れられるように工夫すること)も大いに生かすことができますし、中山間地が多くて青倉・四ッ廻りと同様の苦労を抱えている長野県全体の中山間地農業の再生モデルを創り出すこともできると考えられます。
復旧事業が本格化するこれからが、村民が復興にむけて知恵を出すときなのです。



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