支援のあり方を考える
- ボランティア/支援
- 2012.02.24 Friday
私は3月12日の地震以来、自らが被災者の一人として、復旧や復興に取り組むとともに、支援の立場にも身を置き、この1年近くを過ごしてきました。
そういう中で、いま、「支援とは何か」ということを考えさせられることがしばしばあります。
●「支援」をめぐって困ること
率直に言います。「支援」がかえって迷惑である場合があるのです。
具体的にいえば、1つは、なんでもかんでも「仮設住宅支援」とされることです。
もう1つは、当方(村民)の都合も聞かずに、勝手に「押しかけられる」ことです。
少し踏み込んで言いますと、1点目は、直接的には「なんで仮設ばかり大事にされるの?」という住民感情を引き起こし、無用な摩擦すら生み出しています。たしかに、仮設住宅はどこに被災者がいるのかが分かりやすいということがあるでしょうが、現地の中間支援団体(たとえば私も一員である栄村ネットワーク)に問い合わせていただければ、集落で頑張っておられる被災者の情報などを提供することもできます。
メディア関係者も安易に仮設住宅だけをクローズアップして、「栄村震災取材、事足れり」とする姿勢を改めてほしいと思います。仮設住宅の居住者も、そういう扱いはあまり気持ちのいいものではありません。私自身、仮設住宅で暮らす身ですので、よく感じることですが、毎日のようにTVカメラを持った人たちが早朝から仮設住宅敷地内を当たり前のように動き回るのを見ると、嫌になります。
私は東北の被災地に出かけ、仮設住宅を訪れることもありますが、仮設住宅の敷地内で勝手に写真を撮るなどの行為は慎むようにしています。
第2点の方は、個々のボランティアの問題ではなく、支援団体の問題だと思います。
個々のボランティアの人たち、少なくとも私共にご連絡下さる方々は、当方の様子・事情をお尋ね下さり、「迷惑でなかったら受け入れてほしい」と言ってきて下さっています。この間の除雪ボランティアお申し出のみなさんもそうです。そういう人たちとは率直に情報交換、意見交換をさせていただき、私共の力量の不十分さにもご理解をいただきながら、ご支援いただいています。
ところが、一部ではありますが、「支援が必要なはずだ。受け入れろ」と言わんばかりの団体がおられることも事実です。震災直後のボランティア受付活動の時もこういう団体には困りました。そして最近も、「〇人来るから、受け入れ先を手配してくれ」という話が舞い込んできます。来る人たちは「栄村が支援を必要としている」という話を聞いて来られる善意の人びとです。この人たちを無碍(むげ)に扱えば、栄村の評判が傷つきます。かといって、ありもしない「ニーズ」を作り出して、支援活動をやっていただくこともできません。
「支援に来い、受け入れる」と勝手にやる人は何を考えておられるのでしょうか。
支援のニーズとボランティアのお申し出をマッチングさせることは並大抵の作業ではありません。その作業を責任もってやってこその「支援団体」ではないでしょうか。
●まず現地の状況を徹底的に学ぶ姿勢を
私自身もご批判をいただくことがありますので、偉そうなことは言えませんが、5年間、栄村で暮らし、栄村の暮らしや抱える問題などを徹底的に学ぶという姿勢でやっているつもりです。
ところが、どうも、自分たちの考えややり方を絶対に正しいものとして、その尺度を栄村にあてはめて、活動しようという団体があるように思えるのです。そういう団体との間では私自身も随分と嫌な思いをしてきました。
● 支援のあり方に工夫を
先日、「バレンタインデー」ということで、それまで存じ上げていなかった人からチョコレートが送られてきました。除雪関係のことで忙しかった時でしたので、配るのが大変だと思いました。仮設住宅で配れば簡単なのですが、それでは先に指摘したことになってしまいますから、「復興への歩み」の配布に重ねて、集落で頑張っておられる高齢者の人たちに配るようにさせていただきました。
個数が20数個でしたので、お届けできたのはわずかのお宅になりましたが、今後もこういう工夫というか、努力をしていきたいと思っています。
また、私は支援をお申し出下さる方に、「むらの誰か、どこかの集落とつながって下さい」とお願いするようにしています。そうして、長いお付き合いをしていただくことが栄村の復興の力になると思うのです。
被災地の復興には支援が必要です。だからこそ、支援とは何かをよく考えなければならないと思うのです。みなさんのご意見をいただけると嬉しいです。
そういう中で、いま、「支援とは何か」ということを考えさせられることがしばしばあります。
●「支援」をめぐって困ること
率直に言います。「支援」がかえって迷惑である場合があるのです。
具体的にいえば、1つは、なんでもかんでも「仮設住宅支援」とされることです。
もう1つは、当方(村民)の都合も聞かずに、勝手に「押しかけられる」ことです。
少し踏み込んで言いますと、1点目は、直接的には「なんで仮設ばかり大事にされるの?」という住民感情を引き起こし、無用な摩擦すら生み出しています。たしかに、仮設住宅はどこに被災者がいるのかが分かりやすいということがあるでしょうが、現地の中間支援団体(たとえば私も一員である栄村ネットワーク)に問い合わせていただければ、集落で頑張っておられる被災者の情報などを提供することもできます。
メディア関係者も安易に仮設住宅だけをクローズアップして、「栄村震災取材、事足れり」とする姿勢を改めてほしいと思います。仮設住宅の居住者も、そういう扱いはあまり気持ちのいいものではありません。私自身、仮設住宅で暮らす身ですので、よく感じることですが、毎日のようにTVカメラを持った人たちが早朝から仮設住宅敷地内を当たり前のように動き回るのを見ると、嫌になります。
私は東北の被災地に出かけ、仮設住宅を訪れることもありますが、仮設住宅の敷地内で勝手に写真を撮るなどの行為は慎むようにしています。
第2点の方は、個々のボランティアの問題ではなく、支援団体の問題だと思います。
個々のボランティアの人たち、少なくとも私共にご連絡下さる方々は、当方の様子・事情をお尋ね下さり、「迷惑でなかったら受け入れてほしい」と言ってきて下さっています。この間の除雪ボランティアお申し出のみなさんもそうです。そういう人たちとは率直に情報交換、意見交換をさせていただき、私共の力量の不十分さにもご理解をいただきながら、ご支援いただいています。
ところが、一部ではありますが、「支援が必要なはずだ。受け入れろ」と言わんばかりの団体がおられることも事実です。震災直後のボランティア受付活動の時もこういう団体には困りました。そして最近も、「〇人来るから、受け入れ先を手配してくれ」という話が舞い込んできます。来る人たちは「栄村が支援を必要としている」という話を聞いて来られる善意の人びとです。この人たちを無碍(むげ)に扱えば、栄村の評判が傷つきます。かといって、ありもしない「ニーズ」を作り出して、支援活動をやっていただくこともできません。
「支援に来い、受け入れる」と勝手にやる人は何を考えておられるのでしょうか。
支援のニーズとボランティアのお申し出をマッチングさせることは並大抵の作業ではありません。その作業を責任もってやってこその「支援団体」ではないでしょうか。
●まず現地の状況を徹底的に学ぶ姿勢を
私自身もご批判をいただくことがありますので、偉そうなことは言えませんが、5年間、栄村で暮らし、栄村の暮らしや抱える問題などを徹底的に学ぶという姿勢でやっているつもりです。
ところが、どうも、自分たちの考えややり方を絶対に正しいものとして、その尺度を栄村にあてはめて、活動しようという団体があるように思えるのです。そういう団体との間では私自身も随分と嫌な思いをしてきました。
● 支援のあり方に工夫を
先日、「バレンタインデー」ということで、それまで存じ上げていなかった人からチョコレートが送られてきました。除雪関係のことで忙しかった時でしたので、配るのが大変だと思いました。仮設住宅で配れば簡単なのですが、それでは先に指摘したことになってしまいますから、「復興への歩み」の配布に重ねて、集落で頑張っておられる高齢者の人たちに配るようにさせていただきました。
個数が20数個でしたので、お届けできたのはわずかのお宅になりましたが、今後もこういう工夫というか、努力をしていきたいと思っています。
また、私は支援をお申し出下さる方に、「むらの誰か、どこかの集落とつながって下さい」とお願いするようにしています。そうして、長いお付き合いをしていただくことが栄村の復興の力になると思うのです。
被災地の復興には支援が必要です。だからこそ、支援とは何かをよく考えなければならないと思うのです。みなさんのご意見をいただけると嬉しいです。



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むらたびは、体験イベントを通して栄村の〈むららしい暮らし〉や自然を満喫し、栄村の復興に繋げる新しい旅です。






