栄村復興への歩みNo.91(通算第125号)
- 復興ビジョン
- 2011.10.25 Tuesday
「おらほの集落は存続できるのか?」
「みんなが集落に戻り、暮らせるように」。これが復興のメイン・スローガンにふさわしいと私はくりかえし書いてきました。
16日のシンポジウムで復興について議論されたこともあり、最近、むらの復興についてのご意見をお聞きすることが増えています。その中で、かなり多くの人が言われることは、今日のタイトルのとおり、自分の集落がはたして存続できるのかという心配です。
そこで今日はその問題について考えたいと思います。
●集落で十分な話し合いができていないケース
「自分のところの集落はどうなってしまうのか?」という心配が生じる一つの原因として、集落での話し合いが十分にできていない、いや、そもそもそういう機会がない、ということがあげられます。
私は復興モデル集落として小滝をよく紹介しますが、他の集落からは「小滝のようにはいかない。自分のところは取り残されていってしまうのではないか」という不安を漏らされることもあります。しかし、小滝でも何もかもがうまくいっているわけではありません。いや、難問も多く、なかなか解決策が浮かんでこない問題も多々あります。ただ、小滝の場合、復興プロジェクトチームというものがあって頻繁に会合をやっていますし、また集落のほぼ全員が集まる機会も4月以降に数回もたれています。
これに対して、年に1回の総会は行なわれたが、それ以外には格別の会合など持たれていないという集落もあるようです。また、集落に復興委員会のようなものが設けられたが、どういう内容の会合をやっているのか、よくわからないというケースや、委員会は名ばかりで実質的な会合はほとんどやられていないというケースもあるようです。
たしかに、集落での話し合いの機会がないと、一人ひとりがどんなに頑張って自宅や農地の修復などに取り組んでいても、孤立した感じになったりして、「おらほの集落はもう終わってしまうのではないか」という不安に襲われてしまうこともあるかもしれません。
ここでは、ひとまず、集落での話し合い、まとまりが大事だということを確認したいと思います。ただ、そのように確認したからといって、すぐに集落での話し合いができるというものではありません。どのようにしたら、この状況を打開できるかについては、後ほど解決策を提案します。
● 集落にリーダーがいないという困難
みなさんとお話していて、つぎによく出てくる困難な問題は、「おらほの集落にはまとめ役(リーダー)がいない。おらにはとてもそんな役は務められない」ということです。
たしかに集落がまとまって復興にむけて動いていくには“まとめ役”あるいは“引っ張り役”が必要ですね。リーダーです。
むらのみんなは暮らすために集落(むら)に住んでいるのであって、なにか社会活動をするために暮らしているわけではありません。ですから、復興にむかってのリーダー役が務まるという人はなかなかいないかもしれません。
集落には区長さんがおられ、区長さんは復旧事業等で役場との調整・連絡役などを一所懸命にやって下さっていますが、復興リーダーというのとはちょっと違う立場だともいえます。
リーダーの問題をどのように解決できるか。これは中越の震災復興でも大きな課題だったようですし、また、東北各地でも大きな課題となっていることのようです。
●中越の復興は「移動井戸端会議」から始まったようです
先日(17日)、中越の震災復興についてお聞きしに旧川口町をお訪ねしたことはこのレポートでも報告しましたが、その時、中越防災安全推進機構の阿部巧さんから1冊の本をいただきました。『中越から東日本へ 震災復興とその未来』というものです(新潟日報事業社刊)。
そこに稲垣文彦さんという人が中越の震災復興と復興支援員の歩みについて書かれています。稲垣さんは3月から最近まで福島県郡山市の最も規模の大きい避難所の責任者を務められていた人で、9月1日には民生委員の研修会の講師として栄村にも来られた人です。
稲垣さんによれば、2005年5月(震災から7ヶ月目)に地域復興のための中間支援組織「中越復興市民会議」(以下、市民会議と呼ぶ)が発足しました。専任スタッフは2人しかいなかったそうです。
市民会議は復興支援の基本姿勢として、「住民自らが主体的に地域のことを考え、行動する意識の醸成(じょうせい)」と「そこから生まれてきた活動を支援する」ことを確認していましたが、具体的な復興支援活動のイメージはなかったといいます。
そこで、市民会議は、〈現場に行く〉ことを活動の基本内容とすることにし、移動井戸端会議というものを始めました。1回目は小国町法末地区でのもので2005年6月10日(震災から8ヶ月目)のことです。2回目は川口町木沢地区で2005年12月7日(震災からじつに1年2ヶ月目)です。
井戸端会議で話題となったことは、まず、道路、水道等のインフラ復旧への不満、今後の集落での生活への不安だったようです。いいかえれば行政への不満です。
同時に、地域(集落)の資源、いいかえれば地域の良さを洗い出し、地域の魅力を再発見する話し合いが行われました。そして、そこから地域−集落の復興への種が蒔かれていったのです。
● 数人からでもいい。あれこれ話してみる場をもつことから始めませんか
どうでしょうか。この中越の経験は興味深いですよね。
栄村でも、「井戸端会議」と言ってもいいような、ちょっとした話し合いの場を持つことから始めてみませんか。
それは何も「○○集会」とか名乗る大袈裟(おおげさ)なものである必要はないと思います。たとえば女衆数名がお茶のみで集まって、愚痴を言い合うことでいいと思うのです。あるいはまた、集落の中に範囲を限定する必要はなく、知り合い同士で集落の枠を超えて情報を交換し合うというだけでも意味が大きいと思います。
● コーディネーターあるいは支援員の役割
16日のシンポジウムでは、信大の木村・内川両先生から「住民、行政、研究者、コーディネーター」の四者の連携が提案され、支援(サポート)の必要性が指摘されました。
私はもともと、この「支援(サポート)」あるいは「コーディネーター」の役割に相当する活動をめざしてきたものですが、一人でやれることには限りがあります。
このレポート「復興への歩み」をみなさんのお家にお届けしてくれている山内拓也さんがいますが、みなさんから「たくちゃん」とか「たっくん」と呼ばれ、いろいろとお話を聞かせていただいているようです。彼こそまさに「支援員(サポーター)」だといっていいのではないでしょうか。私は、山内さんからみなさんのお話を聞いて、いろんな状況を知ることができます。
また、東北のある地域では、被災者自身が復興支援員として採用されているケースがあるそうです。私と一緒にNPO(栄村ネットワーク)の活動を一所懸命にやっておられる樋口利行さん(小滝)は、この3ヶ月ほどの間、毎日毎日、古道の整備をお一人で朝早くからやって下さっていましたが、10月30日の古道歩きのむらたびを目前にして、今年の古道整備の作業をほぼ完成されました。これからは村内の知り合いを訪ねて、いろんな話をする時間が持てるようです。
●不満をため込まない。情報を交換する。ちょっとした“気づき”を大事にする
私はいま、できるだけ村内をぐるぐる廻り、復旧工事の様子を把握するように努めています。現に復旧工事が行なわれているところは「目に見える」のですが、復旧工事が遅れ、集落のみなさんが不満に思っておられること、焦っておられることは、いわば「目に見えない」ものです。そういう不満や焦りがあれば、是非、お知らせください。役場の担当者に尋ねて、復旧の見通しを調べることなどはできます。
また、たとえば、「家を直すにも資金が足らない。村から発表されているもの以外に、なにか支援や融資の途(みち)はないのか?」というようなことで、住民同士の情報交換もできればいいなと思います。
さらに、こういう話もあります。「小滝では古道で人を集めるようだが、おらほの集落にだって、おれが案内すれば、いいところがあるんだ」と。それが「集落資源」なのですよね。そういう自分の集落のよさへの“気づき”を是非、教えてください。
こういうことから復興が始まり、本格化するのだと思います。
ここ2日間ほどは少し気温が高めだったですが、しかし、冬はもうすぐそこに来つつあります。冬に備えるために心配事や“焦り”も出てきます。だからこそ、いまこそサポートの活動を強め、住民同士が手をつなげるようにしていきたいと思います。
いろんなお話を是非、お聞かせください。私も一所懸命、頑張りたいと思います。
「みんなが集落に戻り、暮らせるように」。これが復興のメイン・スローガンにふさわしいと私はくりかえし書いてきました。
16日のシンポジウムで復興について議論されたこともあり、最近、むらの復興についてのご意見をお聞きすることが増えています。その中で、かなり多くの人が言われることは、今日のタイトルのとおり、自分の集落がはたして存続できるのかという心配です。
そこで今日はその問題について考えたいと思います。
●集落で十分な話し合いができていないケース
「自分のところの集落はどうなってしまうのか?」という心配が生じる一つの原因として、集落での話し合いが十分にできていない、いや、そもそもそういう機会がない、ということがあげられます。
私は復興モデル集落として小滝をよく紹介しますが、他の集落からは「小滝のようにはいかない。自分のところは取り残されていってしまうのではないか」という不安を漏らされることもあります。しかし、小滝でも何もかもがうまくいっているわけではありません。いや、難問も多く、なかなか解決策が浮かんでこない問題も多々あります。ただ、小滝の場合、復興プロジェクトチームというものがあって頻繁に会合をやっていますし、また集落のほぼ全員が集まる機会も4月以降に数回もたれています。
これに対して、年に1回の総会は行なわれたが、それ以外には格別の会合など持たれていないという集落もあるようです。また、集落に復興委員会のようなものが設けられたが、どういう内容の会合をやっているのか、よくわからないというケースや、委員会は名ばかりで実質的な会合はほとんどやられていないというケースもあるようです。
たしかに、集落での話し合いの機会がないと、一人ひとりがどんなに頑張って自宅や農地の修復などに取り組んでいても、孤立した感じになったりして、「おらほの集落はもう終わってしまうのではないか」という不安に襲われてしまうこともあるかもしれません。
ここでは、ひとまず、集落での話し合い、まとまりが大事だということを確認したいと思います。ただ、そのように確認したからといって、すぐに集落での話し合いができるというものではありません。どのようにしたら、この状況を打開できるかについては、後ほど解決策を提案します。
● 集落にリーダーがいないという困難
みなさんとお話していて、つぎによく出てくる困難な問題は、「おらほの集落にはまとめ役(リーダー)がいない。おらにはとてもそんな役は務められない」ということです。
たしかに集落がまとまって復興にむけて動いていくには“まとめ役”あるいは“引っ張り役”が必要ですね。リーダーです。
むらのみんなは暮らすために集落(むら)に住んでいるのであって、なにか社会活動をするために暮らしているわけではありません。ですから、復興にむかってのリーダー役が務まるという人はなかなかいないかもしれません。
集落には区長さんがおられ、区長さんは復旧事業等で役場との調整・連絡役などを一所懸命にやって下さっていますが、復興リーダーというのとはちょっと違う立場だともいえます。
リーダーの問題をどのように解決できるか。これは中越の震災復興でも大きな課題だったようですし、また、東北各地でも大きな課題となっていることのようです。
●中越の復興は「移動井戸端会議」から始まったようです
先日(17日)、中越の震災復興についてお聞きしに旧川口町をお訪ねしたことはこのレポートでも報告しましたが、その時、中越防災安全推進機構の阿部巧さんから1冊の本をいただきました。『中越から東日本へ 震災復興とその未来』というものです(新潟日報事業社刊)。
そこに稲垣文彦さんという人が中越の震災復興と復興支援員の歩みについて書かれています。稲垣さんは3月から最近まで福島県郡山市の最も規模の大きい避難所の責任者を務められていた人で、9月1日には民生委員の研修会の講師として栄村にも来られた人です。
稲垣さんによれば、2005年5月(震災から7ヶ月目)に地域復興のための中間支援組織「中越復興市民会議」(以下、市民会議と呼ぶ)が発足しました。専任スタッフは2人しかいなかったそうです。
市民会議は復興支援の基本姿勢として、「住民自らが主体的に地域のことを考え、行動する意識の醸成(じょうせい)」と「そこから生まれてきた活動を支援する」ことを確認していましたが、具体的な復興支援活動のイメージはなかったといいます。
そこで、市民会議は、〈現場に行く〉ことを活動の基本内容とすることにし、移動井戸端会議というものを始めました。1回目は小国町法末地区でのもので2005年6月10日(震災から8ヶ月目)のことです。2回目は川口町木沢地区で2005年12月7日(震災からじつに1年2ヶ月目)です。
井戸端会議で話題となったことは、まず、道路、水道等のインフラ復旧への不満、今後の集落での生活への不安だったようです。いいかえれば行政への不満です。
同時に、地域(集落)の資源、いいかえれば地域の良さを洗い出し、地域の魅力を再発見する話し合いが行われました。そして、そこから地域−集落の復興への種が蒔かれていったのです。
● 数人からでもいい。あれこれ話してみる場をもつことから始めませんか
どうでしょうか。この中越の経験は興味深いですよね。
栄村でも、「井戸端会議」と言ってもいいような、ちょっとした話し合いの場を持つことから始めてみませんか。
それは何も「○○集会」とか名乗る大袈裟(おおげさ)なものである必要はないと思います。たとえば女衆数名がお茶のみで集まって、愚痴を言い合うことでいいと思うのです。あるいはまた、集落の中に範囲を限定する必要はなく、知り合い同士で集落の枠を超えて情報を交換し合うというだけでも意味が大きいと思います。
● コーディネーターあるいは支援員の役割
16日のシンポジウムでは、信大の木村・内川両先生から「住民、行政、研究者、コーディネーター」の四者の連携が提案され、支援(サポート)の必要性が指摘されました。
私はもともと、この「支援(サポート)」あるいは「コーディネーター」の役割に相当する活動をめざしてきたものですが、一人でやれることには限りがあります。
このレポート「復興への歩み」をみなさんのお家にお届けしてくれている山内拓也さんがいますが、みなさんから「たくちゃん」とか「たっくん」と呼ばれ、いろいろとお話を聞かせていただいているようです。彼こそまさに「支援員(サポーター)」だといっていいのではないでしょうか。私は、山内さんからみなさんのお話を聞いて、いろんな状況を知ることができます。
また、東北のある地域では、被災者自身が復興支援員として採用されているケースがあるそうです。私と一緒にNPO(栄村ネットワーク)の活動を一所懸命にやっておられる樋口利行さん(小滝)は、この3ヶ月ほどの間、毎日毎日、古道の整備をお一人で朝早くからやって下さっていましたが、10月30日の古道歩きのむらたびを目前にして、今年の古道整備の作業をほぼ完成されました。これからは村内の知り合いを訪ねて、いろんな話をする時間が持てるようです。
●不満をため込まない。情報を交換する。ちょっとした“気づき”を大事にする
私はいま、できるだけ村内をぐるぐる廻り、復旧工事の様子を把握するように努めています。現に復旧工事が行なわれているところは「目に見える」のですが、復旧工事が遅れ、集落のみなさんが不満に思っておられること、焦っておられることは、いわば「目に見えない」ものです。そういう不満や焦りがあれば、是非、お知らせください。役場の担当者に尋ねて、復旧の見通しを調べることなどはできます。
また、たとえば、「家を直すにも資金が足らない。村から発表されているもの以外に、なにか支援や融資の途(みち)はないのか?」というようなことで、住民同士の情報交換もできればいいなと思います。
さらに、こういう話もあります。「小滝では古道で人を集めるようだが、おらほの集落にだって、おれが案内すれば、いいところがあるんだ」と。それが「集落資源」なのですよね。そういう自分の集落のよさへの“気づき”を是非、教えてください。
こういうことから復興が始まり、本格化するのだと思います。
ここ2日間ほどは少し気温が高めだったですが、しかし、冬はもうすぐそこに来つつあります。冬に備えるために心配事や“焦り”も出てきます。だからこそ、いまこそサポートの活動を強め、住民同士が手をつなげるようにしていきたいと思います。
いろんなお話を是非、お聞かせください。私も一所懸命、頑張りたいと思います。



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