絵の仕事で、最も大切なことは「絵のうまさ」ではない。
絵の仕事を10年以上続けてきて、あらためて、こう思います。
いつから、そう考えるようになったのか。
振り返ってみると、その原点は高校生の時にありました。
子供の頃からイラストの仕事が夢でした。
小さな頃から、絵を描く事と小さな動物が大好き。
一方で、怖がりで泣き虫で、友達も上手につくれない、ビクビクした子供時代を送っていました。
でも悲しい時は、一緒に暮らしていたシマリスが、いつも笑顔にしてくれたのを覚えています。
それが何よりの心の支えでした。
小学生のころには、絵で野生動物の為に何かできる人になりたい、と思うように。
- 大きくなったら、動物保護を伝える絵描きとか、絵本作家になりたい!
そう意気込み、せっせとノートに絵を描く日々。
進んだ芸術の高校は…みんな絵がとても上手
そこから芸術に特化した高校に進み、美術科で3年間、デッサンや日本画づけの毎日を送りました。
そこは各中学から学年で1番絵が上手い人が、一同に集結したようなクラス。
あたりまえですが、クラスメイト全員、とても絵が上手。
この環境の中で「絵がうまい」という事は”自分の特徴” にはならないと、お腹のそこから味わいました。
- 絵が上手なことって、ぜんぜん特別なことじゃない…
- ここではあたりまえの事なんだ…
入学してすぐの頃は、このことに漠然とした不安を覚えました。
中学生の頃は、絵が自分を守るすべでした。
なぜなら私は、中学生のころ気が弱くていじめにもあってて、自信を失う日の連続。
足をけがして松葉付けをつく時も、往復するほどの荷物持ちをさせられたり、理不尽な思いを色々していました。
学年中で流行った「不幸の手紙を一手に引き受ける」という時期もあり、私にとっては、暗闇の3年間。
芸能人やTVの話にも興味がもてない。話についていけない。
テレビより、部屋を暗くしてオカリナの曲を聞きいて、ヤマネやオコジョ、森の生き物の写真集を眺めるのが好き。
なんだか浮いているよなぁ、と自分でもすごく感じていました。
おまけに人とトラブルになるのが大嫌いで、やられてもやられても、反撃をしたいとも思わない性格。
出口のない暗い迷路を歩くような3年間でした。
中学の頃は絵で生きていく自信を保っていた
中学時代の心の拠り所。それは、
- 絵がうまいこと、絵の努力をしていることは誰にも負けない。
という小さなプライドでした。
どれだけいじめられても、
「絵に関しては、たぶん自分はすごい人間だ。」
こんな自分でも、生きていく価値はまだ残ってるはずと、自分を奮い立たせていました。
描く意味が欲しかった高校時代
ところが、小~中学校の暗闇の時代とは一転、絵が大好きな人達が集まった高校時代。
そこは、人と変わってる事が、むしろ評価される場所でした。
みんな、好きなものが明確な為か、それぞれ自分の世界をもっています。
ひとりひとり、ハマっているものが何かしら違ってて、ヘンテコで楽しい空間。
友達はみな飄々としてて、趣味を周りに合わせなくても大丈夫。
素の自分を出せる、安心できる場所がそこにありました。
授業も美術の時間がたっぷりで、友達もとの時間も楽しく、毎日お腹がよじれる程笑う3年間。
- 学校ってこんなに楽しい所だったんだ?!しらなかった!
と驚く毎日。
一方で、自分らしく安心して過ごす日々の中で、生まれてきた感覚もありました。
それは、
- 私の絵の世界は、まだまだ空っぽのかもしれない…
という感覚。
美術の高校で、気づいたこと。
絵が上手なことが、あたりまえのクラス。
絵の世界で、技術を極めるだけでは、何者にもなれないんだ。
この事実を、仕事を始める前、高校生の頃に噛み締められたのはよい経験でした。
この原則は、社会人になって、仕事の現場やイラスト業界でも全く同じだったのです。
絵のうまさ、技術、スキルが秀でているのは、あたりまえの世界。
学校をでたばかりの新人でも、その道何十年のプロと同じ土俵で、仕事を獲得していかなくてはなりません。
絵の技術を磨くことは、鎧ではなくなった
…と、ここまで書いてきて気づきました。
絵で表現したいことに、高校時代にきちんと向き合えた、もう一つ深い理由。
高校では「絵の技術を磨くこと」が、自分の自尊心をまもる為の鎧(よろい)ではなくなったからかもしれません。
高校ではだれも私のことを、理不尽に馬鹿にしたり、いじめたりしませんでした。
絵のうまさで自分を守る必要がなくなった。
クラスメイトの絵のうまさにライバル心を抱くことも、たくさんありました。
でもそれは、尊敬のような気持ちだったり、友達が好きだという気持ちがベースにあります。
「バカにされたくない」という感情とは、違う色合いの気持ちでした。
「馬鹿にされる理由はない」
「私はイジメてる人達に負けないもの(絵の表現力)を持ってる」
「私にも生きる価値は、たぶんあるはず」
中学の頃のように、絵の技術を磨くことを、つらい状況に耐えることに紐づけなくても、よくなっていたのです。
自分は、この世界に いてもいい存在なのかも。
そんな、ふわりと心地よい、安心感がありました。
磨いていく絵の技術は、なにか世の役に立つことに使ってみたい。
あたたかく、やわらかな気持ちで、そう思えるようになっていました。
「絵がうまい事はきっと、ゴールじゃない」
同年代、同じ土俵で、絵がうまい友人に囲まれて、そう気づきました。
みんなのレベルが高くて、絵がうまいことが、ここでは自分を守る術にはならない。
「そもそも絵がうまい事で、自分を守らなくても良いんだ。」
守る必要がなくなったからこそ、うまれた余白で、あらためて考えられるように なったのかもしれません。
「じぶんは絵で何を表現できる人になりたいのだろう?」
絵で何を、表現したいのか。
美術科の高校時代の自分にとって、画力やデッサン力は、コンクールや受験で順位がつく相対的なものでした。
だからこそ「何を表現したいか」「何を考えているのか」
順位のつけようのないもの、人と比較しようのないもの、自分にしかないものを掘り下げてみたくなりました。
- 自分は、なにができるんだろう…? 絵がうまい以外に、何があるのかな?
空っぽな自分からは、きっと空っぽな絵しかうまれない。
伝えたいこと、考えていること、感じたこと…。
「表現したい何か」があるからこそ、絵の技術を活かす事ができるんだ。
そう、思うようになりました。
高校では画力を磨く事をこえる収穫があった
3年間、美術科で過ごした高校時代、絵のうまい友人にかこまれたことが、自分自身にじっくり向き合うきっかけになったのだと思います。
やっぱり絵が好き。絵の仕事に就きたい。
死ぬまで絵を描く人生をおくりたい。
そんな風に人生スパンで考えてみたとき、”表現したい何か”を育てることが、若いときにやるべきことのように思えたのです。
からっぽな自分からは、空っぽな絵しか生まれない。
絵×人生、という樹を育てるために、まずは土を耕したい。
本をたくさん読んで、目を肥やして、人にあって、栄養たっぷりの土壌にしたい。
そう思い、自分の内面と向き合ってゆく中で、ゆっくり浮かんできたもの。
それは「小さな生きもの」と「心に寄り添う事」でした。
人の心と生きものの環境を、もっと知りたい
その原点にいたのは、幼い頃から心に寄り添ってくれたシマリスです。
辛いときはいつも、シマリスが笑顔にしてくれました。
泣き虫で孤独だった自分に、やさしく寄り添ってくれたリス。
その小さな存在が、大きな救いになったのです。
シマリスに恩返しがしたい。
悲しさ、寂しさに寄り添える人になりたい。
そう決意し、高校3年生になったばかりの新学期の頃、進路を変更しました。
志望したのは、四年生の大学で「環境社会学」を研究する学科。
当時の私は、学校で美術の授業、家に帰っても絵の練習、春休み等はデッサンの予備校…。
絵描きになるため、高校1年生、高校2年生と、ずっと芸大を目指していたので、全くの畑違いの進路に、親も驚いていました。
本当に直前までデッサンの予備校にも通っていたので、思い切った路線決断だったと思います。
でも、畑違いの4年間は、得られたものがたくさんありました。
デッサン力より、画力より、大切なこと。
絵の仕事で、最も大切なことは「絵のうまさ」ではない。
高校生の春に思ったことは、絵の仕事を続けてきて、あらためて本当だったように思います。
商業イラストレーターを14年経験して、実感したこと。
それは「絵を描いてお金を受け取るということは、自分の絵が社会とつながる事」なんだ、という気づきでした。
どんな絵の仕事を、するのか、しないのか。
そして、自分はどんな絵の仕事をしていきたいと願うのか。
それは、絵で世の中にどんな事ができるのかを考えるのと同じことなのかもしれません。
絵の技術は、仕事をしていく上でも大切です。
一生磨き続けていきたいな、と思います。
でも、絵の仕事で一番大切なことかと問われると、どうも違う気がします。
絵の腕を磨いて、何をしたいのか。
絵のチカラで、この世界に何を生み出したいのか。
それが大切なのかもしれない、と感じています。
長いお話、読んでくださってありがとうございます。