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長野県栄村で活動するNPO法人です。被害や復興の状況を、理事である松尾真のレポートを元に更新していきます。

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小滝の歩み

 私はこの「復興への歩み」でしばしば小滝の復興プロジェクトチームの活動について紹介していますが、その素晴らしい活動の背景には永い年月にわたって小滝集落の人たちが培ってきた集落自治の伝統があるように思います。

 昨年夏から秋にかけて、私は小滝集落でT型集落点検という調査をやらせていただきました。村外に出ている子どもとその家族を含め、それぞれの世帯の家族構成をすべてお聞きするという調査です。この調査結果は今回の震災復興への取り組みにおいても大いに役立っています。

 その調査を進める中で、小滝のある人から『小滝部落昭和五拾年乃歩』という冊子の存在を教えていただきました。集落の長老3名の方が昭和57年(1982年)に毛筆で書かれたものです。お三人は当時75〜82歳でしたから、いま生きておられたらいずれも百歳を超えられている方々です。残念ながら、私はそのお三人のどなたともこの世でお会いすることはできませんでしたが、『小滝部落昭和五拾年乃歩』を読ませていただき、たいへん感動しました。
 今日はその内容の一部を紹介させていただきます。


雪とのたたかい
 今回の震災に際して、小滝から月岡に通じる道路が雪崩で塞がれ、小滝の人たちはヘリコプターで避難所の北信小学校(当時)に移動されましたが、小滝〜月岡間は昔から冬の難所だったようです。
 『五拾年乃歩』には、つぎのように記されています。
「小滝ハ月岡へ通ずる横手道路は冬季間は崩雪の危険甚だしく交通乃途絶する事?々なり大雪の時ハ上ノ山へ登り日隠へ廻って行った事も度々あった」
 横手道路というのは、現在、車が通っている小滝〜月岡間の道路ではなく、その横の山の上にある古道(「横手(よこて)上道(うわみち)」と呼んでいる)のことを指しています(一昨年秋に古道復活整備作業が行われたときの写真を紹介します)。


横手上道

 小滝の大先輩たちは、なんとか雪崩の危険を防ぐべく必死で考え、県の林務課と粘り強く交渉し、昭和25年から「危険ヶ所へ石垣の段を拾ヶ所設置工事」(危険な箇所10ヶ所に石垣の段を設置する)を6年間かけて実現したのです。費用は全額、林務課の負担。『昭和五拾年乃歩』には、                
「なかなか厳しい世想の中でしたので年毎に再々県の林務課迄陳情の決果漸くにして施行完成した」
と記されています。「県の林務課」というのは長野市の県庁あるいは現在の北信地方事務所にあたる県の出先機関のいずれを指すか、私にはわかりませんが、それにしても車などなかった昭和25年頃に小滝から県林務課にたびたび交渉に出向いた大先輩たちの努力には本当に頭が下がる思いです。 


 昭和30年にようやく車が小滝に入れる道路ができた
 いま、小滝に行くとき、大巻のところで県道から村道に折れて小滝公民館のところまでずっと舗装道路を進みます。横倉の仮設住宅から車ならば10分もかかりません。


現在の道路(奥に見えるのが公民館)

 しかし、この道路ができたのはようやく昭和30年に至ってからのことなのです。それまでは上に書いたように人が歩けるだけの道しかなかったのです。
 小滝の人たちは県の耕地課と交渉し、「農道改修」という名目で予算を獲得し、月岡〜小滝間の道路づくりを進めたのです。そして最後は県単独事業に組み込んでもらい、
「昭和三十年十一月全長一,五K米が完成是で初めて小滝部落迄自動車の乗り入れが出来る様になった」
のです。
 
 このように小滝の人たちは、現世代の2世代前から、集落の暮らしに必要なことは自分たちの手で切り拓くという自治の精神で取り組んできたのです。自分たちでやれることは自分たちでやる、そして行政の援け(予算)が必要なものは集落が団結して行政と粘り強く交渉して事業を実現する。これが自治の精神だと思います。

 私はこの精神が今回の震災復興でも受け継がれ、発揮されていると思います。
 今後、随時、小滝の「昭和50年の歩み」を紹介していきたいと思います。

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