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栄村ネットワーク
長野県栄村で活動するNPO法人です。被害や復興の状況を、理事である松尾真のレポートを元に更新していきます。

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中山間地の復興とは

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  • 2011.05.07 Saturday
昨日の仙谷官房副長官との懇談に提出したメモの中で、「山村の震災復興をどう考えるか」、「東日本中山間地域の復興モデル」ということを書きました。これの意味するところを少し丁寧に議論してみたいと思います。

<大きな課題を抱えているが、非常に素晴らしい地域>
 昨日のメモでは、
1. もともと大きな課題を抱えている地域
2. 震災を契機に問題が噴出する
3. 原状回復ではなく、中山間地域問題を解決する復興を
と書きました。
 これだけを見ると、中山間地域というものは大きな問題を抱えていて、今にも崩壊してしまいそうな地域と思われてしまうかもしれません。
 しかし、そうではありません。たしかに大きな問題を抱えていますが、じつは素晴らしい地域であり、震災以前、力を取り戻しつつあった地域でもあるのです。

<「こんなむらのどこがいいの?」から「栄村はいいだろう」へ>
 私は2005年夏から栄村に通い始め、2007年春からむらで暮らすようになりました。当初の1〜2年、むらの人と会うたびに、「こんなむらのどこがいいの?」、「なぜ、むらに写ってきたの?」としきりに尋ねられたものです。
 しかし、最近はそういうことを言われることはありません。それどころか、私がむらを初めて訪れた学生などをむら人のお家に連れていくと、「栄村はいいところだろう」とか、「これ、美味いから食べてくれ」といった言葉がむら人からポンポン飛び出します。
 むらのお年寄りが自分たちの暮らし・営みに自信をもち、その価値を主張するように変わったのです。いま70〜80歳代の人たちは、日本社会が高度成長を迎えた時代に20〜30歳代で、それ以来、半世紀間にわたって、「山村のおまえたちの暮らしは遅れている」、「近代化しろ」、「都会の暮らしが最高」と言われ続けてきたのです。
 その人たちが「いや、違う。おれたちの暮らしは立派なものだ。値打ちがあるんだ」と堂々と自己主張し、むらを誇りとするように変わってきたのです。その土壌を生み出したのは1980年代後半の「ふるさとの家」運動など、村人の自己疎外からの解放をめざす活動を展開した高橋彦芳さんの活動であったのだと思います。

<高齢者が元気であれば、むらも元気になる>
 むらの高齢者が自分たちの暮らし、むらに自信を持ち、むらの暮らしの価値を自己主張するようになると、じつは若い世代もむらの暮らしの価値を見直すようになります。
 「限界集落」という言葉が生まれ、日本の多くの中山間地域で、高齢化が問題とされていますが、高齢化それ自体が問題なのではなく、そうした地域とその暮らしの存在価値が否定され、地域と暮らしを担ってきた高齢者の存在意義が否定されているところにこそ問題はあるのです。
 栄村では、集落によって違いはありますが、自分たちのむらとその暮らしの価値を自己主張する高齢者が増えてきている。そこに、そもそも栄村が中山間地域の再生のモデルとなる可能性があると私は考えてきました。

<震災によって山村再生の芽を潰させてはならない>
 そのように元気になってきていた栄村の高齢者たち。その人たちが震災によって、いわば災害弱者の立場に追い込まれています。すなわち、高齢者が家を失った場合、若い世代のように住宅再建の資金を確保することは難しい。あるいは、田んぼの修復にかなりの自己負担が必要だという場合も、高齢者には資金のねん出が難しい。そこで、むらでの暮らしを断念せざるをえなくなる。
 そういうことがあってはならないと思うのです。

<大自然とむら人の知恵・技があれば再生できる。しかし、原発はいっさいの再生の可能性を奪う>
 東日本大震災は未曾有の規模の大災害です。
 しかし、たとえば壊滅的な被害を受けた三陸海岸の漁村は漁に生きようとする人がいるかぎり、必ず再生すると私は信じています。なぜならば、海は津波という恐ろしい災害をもたらすと同時に、豊かな恵みをも人間にもたらすのであり、海と共に生きる知恵と技をもつ人がいるかぎり、暮らしの営みが成り立つからです。栄村という山村も同様です。山が崩れ、土石流を発生させたり、農道や水路を寸断したりします。しかし、その山が同時に水を育み、山菜を育み、むららしい暮らしを可能にもするのです。そこに「山と共に、自然と共に生きよう」という思い、そして暮らしの知恵と技をもつ人がいるかぎり、再生は可能なのです。
 しかし、原発、いいかえれば現代文明の「最高峰」は、いったん事故を起こせば、自然を再生不能に破壊し、人間の生命を蝕み、いっさいの再生の可能性をうばってしまいます。
 いま、日本の社会は、大きな歴史的転換点に直面していると思います。
 人間と自然の関係という原点に立ち戻り、現代文明の爛熟をのりこえていくのか、それとも破綻を露呈した現代文明に固執し、自己崩壊の急坂を転げ落ちていくのか。
 復興基金を創設し、高齢者の人たちがむらの暮らしを復興させることを可能にすることが、じつは日本の社会全体の再生の道を拓く鍵となっているのだと私は考えるのです。
 栄村復興への支援の一つとして、是非、栄村の〈むらの暮らし〉を学んでいただき、〈むらの暮らし〉の価値を自らのものとしていただき、周辺の方々に語りかけていただく。そんな支援をお願いできれば、と思っています。