〈集落の復興〉をキー概念として
- 復興ビジョン
- 2011.04.13 Wednesday
「地震からちょうど1ヶ月」ということで、今日は少しは気の利いた文章を書かなければならないのかもしれません。
しかし、私にはそういうものは書けません。日に日に、〈復興〉というものの難しさを痛切に、そしてずっしりと感じるようになっています。
なぜか。たとえば、行政の対応の拙さ等をあげつらい、批判するのは簡単です。もちろん、行政批判も必要で、私自身も必要に応じて口にします。しかし、行政を批判するだけで何かが進むというものでもない。
どうやら、事の核心は、人びとの暮らしがどうしたら成り立つのか、それは政治‐行政の問題に解消することもできず、また、経済の問題にも解消できない、もっと全体性のあるもので、生々しいものだということにあるのではないかと思います。復興にむけての歩みというものは、なにか1つの運動方針を編み出せば、うまくいくというようなものではないのです。
しかし、同時に、何か人びとの気持ちと動きが1つになるようなものも必要だとも思います。
まだまだ試行錯誤の状況ですが、私は、〈集落の復興〉ということを栄村の復興のキー概念として設定し、それを導きの糸として、復興に一人の主体として参加していきたいと思っています。〈集落の復興〉をキー概念とするということは、〈むらとは何か〉ということと密接に関わるものです。これまでも少しは議論してきましたが、今後、この点を深めていきたいと思っています。
―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール
しかし、私にはそういうものは書けません。日に日に、〈復興〉というものの難しさを痛切に、そしてずっしりと感じるようになっています。
なぜか。たとえば、行政の対応の拙さ等をあげつらい、批判するのは簡単です。もちろん、行政批判も必要で、私自身も必要に応じて口にします。しかし、行政を批判するだけで何かが進むというものでもない。
どうやら、事の核心は、人びとの暮らしがどうしたら成り立つのか、それは政治‐行政の問題に解消することもできず、また、経済の問題にも解消できない、もっと全体性のあるもので、生々しいものだということにあるのではないかと思います。復興にむけての歩みというものは、なにか1つの運動方針を編み出せば、うまくいくというようなものではないのです。
しかし、同時に、何か人びとの気持ちと動きが1つになるようなものも必要だとも思います。
まだまだ試行錯誤の状況ですが、私は、〈集落の復興〉ということを栄村の復興のキー概念として設定し、それを導きの糸として、復興に一人の主体として参加していきたいと思っています。〈集落の復興〉をキー概念とするということは、〈むらとは何か〉ということと密接に関わるものです。これまでも少しは議論してきましたが、今後、この点を深めていきたいと思っています。
―栄村ネットワーク関係者 現地からのメール



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