叶えたい夢があって、それにむかって歩く時。
「自分で決めた」という感覚が、なによりの道標になるのかもしれない。
絵の仕事を長い間続けてきた中で、そんなことを思うようになりました。
まがり道だらけで歩いてきた「絵を仕事にする」という人生。
困難なことや悩むことも、山のようにありました。(いまも、あります。)
そんな道を自分は、なにを頼りに歩いているんだろう?
そう振り返った時、一番のお守りになったのは、「自分で決めた」という感覚かもしれない、と思うのです。
進学は芸術以外の分野へ
思えば、私は大きな遠回りをしつつ、絵の仕事をはじめています。
絵の仕事につきたい場合の、まず思い浮かべる進学先は、芸大かアートの専門学校ですよね。
ところが、私が選んだのは大学の環境社会学科という、絵とは関連の無い学科でした。
その理由は2つ。
①美術の高校で、絵がうまい事で抜きん出ることができない事を味わった。
②表現したいものを、もっと掘り下げたくなった。
くわしくはこちらの記事を下さい。
美術の高校で絵を学んだ3年間。
進路を考える頃には絵のスキルも大切だけど、それ以上に自分の中が空っぽな気がするという感覚が大きくなっていました。
- 自分はこれから社会に出るまでの時間、何を学びたいんだろう?
自分の原点をたどっていくと、「動物と絵」がありました。
イジメられたり、辛い事があっても、何度も動物や絵に助けてもらってきた子供時代。
絵本作家・漫画家・イラストレーター…
理想の姿は少しずつ変わったりしましたが、一貫していたのは 絵で小さな生き物の為に、何かできる人になるという夢。
- こども、動物、小さな生き物や、社会の問題こと、一度、しっかり学んでみたい。
そんな気持ちから、環境社会学科へ進学しました。
絵が描ける事が、自分の特徴になった。
講義、ゼミ、論文、フィールドワーク…と走り回る毎日。
美術の高校時代とうって変わって、そこには絵を専門にしている人のいない、新鮮な環境でした。
クラスメイト全員が絵が上手くて当たり前の美術科の高校から一転。
そこは「絵が描けること・デザイン出来ること」が、特別なスキルと思ってもらえる場所だったのです。
大学生の頃から絵のお仕事をいただけた
そこでとても嬉しかったのが、学生の間に絵のお仕事を頂けるようになったこと。
きっと、環境問題の界隈をウロウロしていてかつ、絵がかける人というのが不足していたのが最大の理由。
どんな問題、どんなシンポジウム、どんな学会でも、広報は必要です。
- ポスターがほしい!
- パンフレットがほしい!
- チラシを作らなきゃ!
そんな声がよく飛び交っていました。
専門分野ではない場所に、身を置くこと。
美術科の高校当時、私の絵のスキルは、ごく平均レベルでした。
このため、特別に絵がうまかったから依頼を頂けた…ということではなかったと思います。
おそらく、芸大やアートの分野にいたのなら、声をかけてもらえなかったと感じています。
- 専門スキル以外の分野に飛び込むと、スキルを活かせるチャンスに恵まれるんだ…!
これは大学生の私にとって、新鮮な発見でした。
絵がかける人、というキャラクターになれた。
絵と違う分野に身を置いたことで、「絵がかけるひと」として見てもらえたのかもしれません。
2回生の頃から少しずつ、仕事のお声掛けをいただき、3回生の頃には開業届を提出。
4回生の頃には、大学に通いながら、月に数件絵のお仕事を抱える状態になりました。
学生の間から開業していたこと、仕事をしていたこと。
それがよかったのか、卒業後もスムーズに、フリーランスのイラストレーターとして社会人になりました。
「これだ」と思えるものを大切にする
絵とは違う道へと進んだ大学時代。
あらためて思うことは、自分が「これだ」と思うものを選ぶことが大切なんだ、ということ。
たとえ、まわりと違っても。人と違っても。
当時、高校のクラスの多くの友人が、芸大かデザイン系の専門学校へ進みました。
まっすぐ絵の道に進む友人たちを見ると「自分はこの道でいいのかな?」と不安になる事も、たくさんありました。
今あらためて考えると、この不安も、よかったのかもしれません。
「違うルート」に進んだ不安があったからこそ、得られたものもあります。
それは、自分への問いかけ。
大学生の間、何度も自分になんのために?と問いかける機会と出会いました。
お金が絡むと、本気で考える。
4年の間には、家の都合で、学費を自力で捻出しなければいけない期間もありました。
毎朝6時起きでスーパーの品出し
土日は工場で梱包のバイト
当時は半分ボランティアのようなギャラの絵のお仕事…
チョコチョコ貯めて、なんとかかけ集めた、貧乏学生にとって超なけなしの50万(半年分の授業料)。
人間、やはりお金が絡むと現金なもので、
「絵がうまくなるわけでもないし、体力的にも時間的にも辛いし、やめようか」
「なんのために、私はここで学んでいるの?」
そう何百回もお腹のそこから迷い、あーだこーだと考え、時に数日かけて悩み、それでも何百回も「いや、私はまだ学びたい」と、思い直しました。
- 問題を知って、人の痛みがわかる人間になりたいから
- 長い目で見たら、課題を深く考え方法を身につけるのは、ずっと絵の仕事で役に立つから
手探りで一つ一つ、答えを見つけながら進む。
そのことが、自分の思いを掘り下げる事につながってのかもしれません。
変わった道、はずれた道は、先行事例や答えがありません。
その分、悩む回数も猛烈に多い道。
でも道を探していく過程で、自分なりの思いやビジョンが明確になる点が、最大のメリットだと思うのです。
もちろん、人と外れた道に行けば、うまく行くという保証もどこにもありません。
先人の成功事例がほぼ無い分、より多くの試行錯誤が必要になり、苦労する道だとおも思います。
「自分で決めた感覚」が大切
結局どの道を選んでも、イラストレーターになるのは大変な道だったのかもしれません。
でも、大変な道を歩けたのはただひとつ、そこに「自分で決めた感覚」があったから。
逆説的な感じがしますが、「自分で決断したらあとはとても気が楽だ」と思います。
イラストレーターのなり方は1つじゃない
誰のせいにも出来ない道。
ただ、辛いことがあっても少なくとも自分で決めたという確信は持って進めます。
きっと、大切なのは、この「自分で決めて進んでる」という感覚。
これが、前に進む力になってくれたんだと、ジワリと感じています。
「そうするのが一般的だから」ではなく「本当は自分がどうしたいか」
「きっと、こっちだと思う」と信じられる何かをゆっくり育てる事。
自分らしい道に、つながっていゆくのかな、と思います。