優しさの、根っこにあるもの。

ヤマネの絵 ニホンヤマネのイラスト  ヤマネと男の子と星空

        

友達の尊敬するところ。

かっこいい作家さん。

話しているだけで心が穏やかになる人…

    

とても心惹かれる人達の、どこに心惹かれるか。

    

そんな事を考えていくと、いつもフワリと浮かび上がるのが「知的で、優しい」というあり方。

    

知的であることと、優しくあることは、深くつながっている。

    

きっと、つながっている。

    

そんな感覚はありましたが、どのような繋がりなのかまでは、クリアに出来ていませんでした。

    

そのことを考えている内に、すこし見えてきたので、今日はそんなお話をさせてください。

    

    

 

優しさへのあこがれ

そもそも「優しさ」という性質に、なぜ私は強く惹かれるのか。

    

それは単純にこどもの頃から今までの人生、ずっと生きづらかったからだろうな、と思います。

    

私はいじめられっこで、内向的で、友達も多くはありませんでした。

    

世界は常に刺激が強く、とにかくビクビクしている子供でした。

 

親子の白いErmineのイラスト。ヨシヨシの絵。Ermine     

音、匂い、光、感情、表情、声のトーン…

 
様々なことにドキドキして、生活するだけで日々クタクタになる毎日。

    

「まわりのみんなは、どうしてこれが平気なんだろう?」

保育園で常々そう感じていました。

    

刺激を敏感に捉えるタイプの子だったのかもしれません。

 

 

    

 

寄り添ってくれる人がいることで、救われた

とにかく世界はハラハラして、怖い場所でした。

   

気にしないで済むなら、心から、そうなりたい。

  
自分だってみんなのように、ビクビクせず過ごしたい。
  

音も光も人の表情も、大量の情報が脳内になだれ込んできて、圧倒される毎日。

    

ただ、そんな場所でもただ一人でも優しい人がいると、心がフッと楽になるのです。

    

「考え過ぎ。」
「気にしすぎだ。」
「そんなんじゃ、生きていけないぞ。」

    

そう切り捨てずに、

 

「そう感じるんだね、怖いのなら、ゆっくりでも大丈夫だよ」

 

そう言って、寄り添ってくれる優しさ。

 

ヤチネズミ(谷地鼠) 抱きしめるイラスト ネズミのイラスト・絵   

それは、世界は怖い所だと思っている、心細い自分にとって何よりの救いでした。

    

99人が「気にするな」と言う世界。

    

そこに1人でも「そう感じてるんだね」と、自分が感知した世界を、まるごと受け入れてくれる人がいるだけで、涙がでるほど嬉しかったのです。

 

 

    

 

優しさこそが、価値観の根っこになった。

「自分はまわりの人と違って、おかしいのかもしれない」

 
「自分はまわりの人と違って、ちゃんと生きていけないのかもしれない」

    

優しさに触れることで、そんな猛烈な恐怖から開放されるのです。

    

シマリスの絵 赤ちゃんシマリスのイラスト エゾシマリス  Chipmunk illust

 

「優しいという事、心に寄り添うという事は、この世界で何よりも価値があるものだ。」

    

いつもビクビクしていて、優しさこそが救いだった、幼い頃の自分。
    

以来「優しくあること」が人生の価値観の根っ子になっていきました。

    

そして、優しい人は、明確な共通項があることに気づきました。

    

自分を救ってくれた人は、同い年の友達、年配の先生…、性別も年齢も様々でしたが、みな、知的である、ということ。

 

 

    

優しいことと、知的であること。

シマリス 本の絵 リスの親子のイラスト エゾシマリス  Chipmunk illust

 
知的であること。

 

それはきっと、こんな力から成り立っているように思うのです。

 

    

それは、小さな変化に気づける、観察力。

    

それは、相手の立場に立ってものを考える、想像力。

    

それは、自分の感情や考えをメタ的に捉える、認知力。

 

それは、その人の心に最も響く言葉を生み出せる、表現力。

        

それは、心の苦しさの背後にある、大切なことを見抜く、洞察力。

    

 

    

その人のもてる知性をすべて使って、その先にフワリと舞い降りてくるのが、優しさなんだ。
    

そんな気がするのです。

 

    

    

優しくあるのは、むずかしい

タヌキのイラスト ホンドタヌキの親子 タヌキの画像 抱っこのイラストraccoon dog

 
生きものに、優しくありたい。
    

心細いだれかに、優しくありたい。

    

そう願う思う気持ちを持っているのに、優しくあるというのは、難しいことだと日々感じています。    

 

自分の感情に飲み込まれて相手の心が見えなかったり。    

    

背景や状況を理解できてなかったり。
    

理解が浅く、的はずれな事を言ってしまったり。

    

「もっと○○だったら、もっと優しくできるのに…、」

    

自分の感情のコントロールの未熟さや、知識の浅さゆえに、歯がゆい思いをする毎日。

    

そのたびに、自分に優しくしてくれた人が、どれだけ深い知性を発揮していたのかを実感します。

    

その優しさに感謝するとともに、やっぱり最高にカッコいいな、と憧れてやまないのです。

 

    

    

    

優しさを発揮するための、基盤

ニホンモモンガとヤマネのイラスト 月夜の絵

 

優しくしたい対象の、声や目の表情を観察して、心に触れて、とりまく環境を知り、真摯に向き合い、自分に何ができるか考える。

    

寄り添える力を、精一杯、発揮する。

    

優しさは、99の知性をもって、やっと1生まれでる、とても美しい結晶。    

 

その人の人生で積み上げられてきた、知識・価値・気付き…。

 

すべての知性から生まれたエッセンスが、優しさなんだ。

 

そんな風に思うのです。

    
だからこそ、それに触れた時、人は感動してしまうのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

優しくありたい、という泥臭い感情。

「知的で、優しい。」

 

そんな人になりたい、
もっと言えば、そんな絵でありたい。

 

そのために、何を学び、何を考え、何を表現したらいいんだろう。
    

自分に問いかけながら、ペンをとることが増えました。

 

エゾモモンガとエゾシマリス 月夜のイラスト

 

それは高尚な理想ではなく、とても泥臭い気持ち。
    

「私のあの言葉を、相手はこう受け取ったんじゃないかな?」

 

「もっとよい言い方があっただろう、自分!」


「もっと優しくできたらいいのに!」

   

自分の考えの浅さと、ふいに出た言葉の軽さに「あああ」と叫びたくなるような。

 

恥ずかくて、地団駄を踏みたくなるような。

 

日常の中で繰り返されるどうしようもない感情です。

 

   

 

 

 

優しい自分になりたい、と願う気持ち

ニホンヤマネのイラスト ヤマネの絵 少年と星空

 

だから、現在の自分が、優しい人であるかどうかは、別のお話。

   

ただ、「知的で、優しい自分になりたい」と切望してしまう感情は、きっと本物。

   

そのぶん、自分の伸びしろなのかもしれない。

 

そう前向きにとらえようと、思ってます。

          

毎日繰り返す、泥臭い感情と、そこから生まれる学びが、ひとつひとつ、知性として積み上がていく。

   

その繰り返しの先に、優しさが発揮できる自分がいてほしい。    

 

エゾシマリス 寄り添うイラスト

 

「自分は浅い」という、どうしようもない恥ずかしさは、生きていく限り付きまとうのかもしれません。

   

だったら、そんな感情とも友達になりつつ、少しずつ進んで行こうかな。
  

それしかないのかもな、と思っています。

 

そんな、小さな発見でした。

 

 

 

    

Forest Story Time
いぬい さえこ
小さな生きものたちの 小さな物語を描くイラスト作家。
繊細な人のこころに、絵でそっと寄り添えたら…と思ってます。

\絵本がでました/