いま改めて、青倉公民館再建へのご協力を訴えます
- 公民館再建
- 2011.04.13 Wednesday
<4月10日の青倉集落評議員会>
4月10日、青倉集落の評議員会が開催されました。4月29日に集落の総会を開くことを決めるとともに、集落の復興委員会と公民館再建委員会を設けることが決められたと聞きました。また、仮設の公民館を建てる敷地の候補地について具体案が出され、地権者(不在地主)との交渉を進めることも決められたようです。
4月10日、青倉集落の評議員会が開催されました。4月29日に集落の総会を開くことを決めるとともに、集落の復興委員会と公民館再建委員会を設けることが決められたと聞きました。また、仮設の公民館を建てる敷地の候補地について具体案が出され、地権者(不在地主)との交渉を進めることも決められたようです。
本格的な始動はこれからのようですが、私はこの動きの中にむらの復興(集落の復興)の鍵となるものがあると見ています。

在りし日の青倉公民館(2008年5月撮影)
<公民館とはどういうものか>
むらの人たちにとって公民館がどういう重要な意味をもっているのか。これまでにも少し書きましたが、もっともっと知っていただきたいことがあります。 (地震で自分の部屋がダメになっているため、いま、手元に資料がないのですが)青倉の公民館は(そして他の集落の公民館も)、戦後生まれのものです。
“むら”(=集落)では“寄り合い”は欠かせないものです。しかし、公民館が出来るまで、寄り合いは重立(おもだち)と呼ばれる人など集落の数名の“ボ ス”の座敷を借りて行われていたそうです。そうなると、分家のような存在は本家などの座敷に上がるので遠慮せざるをえず、ものも自由に言えなかったそうで す。席順も決まっていたと聞きます。
公民館が出来て初めて、そういう重圧から解放され、席順をあまり気にする必要もなく、ものも自由に言える雰囲気が生まれてきたのだといいます。
私たちがいま見る、集落の人たちが上下の差別などなく、対等につきあい、力を合わせる共同作業なども、公民館の誕生・存在と密接不可分な関係にあるのです。
<水路普請への参加と公民館での交流会>
2008年5月のことでした。私が勤務する京都精華大学の学生がフィールドワークに栄村を訪れ、青倉集落の水路普請に参加させていただきました。初めての ことで、うまくいくか不安でしたが、集落の人たちに大いに歓迎していただき、翌年には学生たちの訪れ‐普請参加を期待されるほどになりました。
この水路普請をめぐる学生たちと集落の人たちの交流‐信頼関係の形成の象徴となったのが、普請作業の後、集落の人たちが公民館で催して下さった交流会(昼 食会)でした。むらの人たちにとって、公民館に迎え入れ、ささやかなものであれ昼食まで振舞うということは、学生たちをいわば〈仲間〉として受け入れたと いうことの象徴であったと私は受け止めています。(このときの記録は栄村ネットワークHPの「調査や研究の記録」のページでご覧いただけます)

公民館での交流会の様子
<公民館の再建プロセスがむらの復興のプロセス>
今週末の16日、住宅の修復・再建についての説明・相談会を青倉で計画しています。でも、そこで1つ、困ったことがあります。青倉の集落の中に集まれる場所がないのです。29日に開催される集落の総会も同様です(総会はスキー場での開催を予定)。
公民館が地震で全壊し、ないからです。
寄り合う場がない。ここに、“むら”が地震で壊されたという現実が凝縮しています。だからこそ、その寄り合う場を再建することが、集落の人びとの絆を結び、“むら”を復興させることにつながります。
たとえば高齢者にとって、住宅の再建の困難など苦しい問題がたくさんあります。しかし、公民館がひとまずは仮設の形であれ再建されれば、互いに寄り合って、お茶のみをしながら、互いに励まし合い、力を合わせていくことが可能になります。
公民館は復興へのエネルギーを生み出す場となるはずです。
地震から10日ほど経った時に呼びかけた公民館再建基金はすでに200万円近くになっているようですが、私は通常時に集落の世帯が分担拠出する1世帯20万円×50世帯=1千万円まではなんとしても集めたいと考えています。
みなさま。栄村への思いを是非、青倉公民館再建基金に凝縮させてください。
基金の口座を改めて紹介させていただきます。
北信州みゆき農協栄出張所 普通口座 0006465
青倉公民館基金 広瀬明彦
よろしくお願いします。



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