絵に込めたおもい
ひとのこころに、絵でそっと寄り添えたら…。
そんな思いで、ちいさな生き物たちの、ちいさな物語を描いています。
思いのもとになった、きっかけのお話を綴ってみました。
こわがりだった、子供時代
私は小さな頃から怖がりで、小さな事にもビクビクしている子でした。
音、光、表情、声のトーン、空気の香り…
刺激を敏感にとらえるタイプだったのかもしれません。
「まわりのみんなは、何故これが平気なんだろう?」
「そもそも、何故、こうなっているんだろう?」
暮らしの中にある、小さな違和感や、小さな問題、当たり前だと思われているもの…。
大多数の人が、ふつうにできること、何気ないことにもつまづいて、深く考えてしまうこどもでした。
笑顔になれるアプローチを 探し続けました
考えるのが好きなのか。
それとも、考えてしまうのをやめられないのか。
日常の中にある、細々したモノゴトに、日に何度も「そもそも何故…?」と考えてしまう、我ながら面倒な頭です。
そんな気質は、中高生の頃になっても相変わらず。
世の中のことを学んで、身のまわりの問題をシッカリ考えてみたい。
そう思い、大学では環境社会学を専攻しました。
そこで学んだことは「正論だけでは、人は動けない。」ということ。
優しい、提案をすること。
自然保護、資源問題、社会的公正…
「環境保護」という切り口だけでみても、世の中には、とてもたくさんの問題があります。
社会の課題を「こうするべき!」とストレートに言うのは、簡単です。
でも、理屈に必ずしも従うわけじゃないのが、人間の奥深くて、人間らしいところ。
「地球の資源が枯渇するから、その暮らし方はダメです。」
「エネルギーはもっと節約しましょう。」
命令されたように感じると、逆に反感を持ってしまったり、「はいはい」と他人事のように思ってしまったりする事も多いもの。
どれだけ正しいことを言っても、届けたい人に心を閉ざされてしまうと、意味がないんだ。
そのことに、深く気づきました。
もっと、人の心に寄り添うアプローチができないかな?
「優しさ」「寄り添う心」こそが生み出せる、アートの変化球があるんじゃないかな?
そんな思いが、自分にとっての大きなテーマになりました。
コロロの動きから、社会の問題を考える
そんな学生の頃、イラストレーターとして仕事をはじめました。
それから10年以上、色んなジャンルのお仕事に挑戦してきました。
中でも、警察や市役所のポスターなど、社会とつながるデザインのお仕事に多く携わってきました。
子供の頃からの心配性や、モノゴトを考えてしまう所が、「社会の問題がテーマ」の仕事にピッタリハマったのかもしれません。
絵で大切にしていること
イラスト制作・デザイナー時代を経て、絵と言葉と届ける作家として、1歩を踏み出しました。
人のコロロを出発点に、世の中の「困った」を見てみる事。
フワリと笑顔になれる、やさしい提案をする事。
その思いは、いまの自分の中でも根っこになってます。
怖がりな子供時代の自分にとって、世界は怖い場所でした。
だからこそ、笑顔で寄り添ってくれる人が1人でもいると、何より安心したのを強く覚えてます。
人の笑顔がみたい。
誰かに、おだやかに、笑っていてほしい。
弱い自分を隠したい。
絵で、自分は、生きているんだろうか?
長い時間を経て
ここ最近やっと、子供の頃のように絵が描けるようになりました。
一度描き始めると、堰を切ったように、描いてみたい絵が溢れ出しました。
「自分が本当に書きたいのは”商業的に役に立つ絵”じゃなかったんだ。」
「なんの役にも立たないけど”誰かの心に寄り添える絵”を描きたかったんだ。」
そんな想いが、1枚1枚と描くうちに明確になってきました。
弱い自分が、描かずにはいられなかった絵と言葉。
心に寄り添うこと
100人に絵を見ていただけたとして、99人に、素通りされてもいい。
その中のたった一人。
そこに私の、幸せがあるのかもしれないと、感じています。
寄り添うことで、自分も救われる
絵の原点にあるもの
こころのリュックの中の重い荷物は色々あります。
どれも、体験せずにいられたなら、体験したくはなかった。
そんな過去の、寂しさや、チクチクした気持ちです。
人の心に、絵で寄り添いたい。
絵と、人に、救われています。
- 「いま、ちょうどほしかった言葉です」
絵を見た方に、そんな言葉を頂いた時、救われた気持ちになりました。
- 優しい気持ちになりました
絵を見た方にそんな言葉を頂いた時、嬉しくて泣きそうになります。
それと同時に、いつも心から思うこと。
それはなにより、絵を見て下さった方の心の中に、優しさがあるからなんだ。